コラム

長野県産ハチミツを手掛ける荻原養蜂園 ~新井みどりさん~

顔の周りにたくさんのミツバチが集まっている「はちひげおじさん」こと荻原義三さんの看板で有名な、軽井沢町の荻原養蜂園。ii7GET店長・臼田も、幼い頃から「はちひげおじさん」や荻原養蜂園の蜂蜜が身近な存在だったそうです。今回は、現在、代表取締役を務められている荻原さんの娘さんである新井みどりさんにお話を伺いました。
(上写真 左:新井みどりさん、右:荻原義三さん)

「はちひげおじさん」で有名な二代目の荻原義三さん

1936年創業の荻原養蜂園。創始者である先代の荻原正次郎さん(みどりさんの祖父)は、戦時中であった当時、御代田町で養蚕を行い、レタスなどの高原野菜の生産を提案するなどの開拓家だったそうです。(今では軽井沢の気候を活かして栽培したブランド野菜として知られる、霧下野菜の先駆者ということですね!)そんな正次郎さんが次に始めたのが養蜂だったそうです。初めのうちは、「転地養蜂」(開花を追いかけながら場所を変えて行う養蜂)を採用し、暖かい千葉、群馬、長野県内の暖かい地域で養蜂を行っていました。

養蜂の様子

本格的な商業として養蜂に取り組んだのが、みどりさんの父である荻原義三さん。ミツバチの飼育数も増え、巣箱とミツバチを移動することが大変になってきた頃、周辺でダムの建設などが盛んに行われ、蜜源であったトチの木が切り倒されるという事態が起こりました。「このままだと、蜜源である花も少なくなってしまう。それならば、自分たちの牧場で花や木を育てて蜂を育てたい!」と作ったのが、佐久市望月にあるハニー牧場です。東京ドーム一個分の広大な山林を買い取り、トチの木の苗づくりやアカシアの植林を経てミツバチを導入。約30年の歳月をかけて、荻原さんは日本初のハニー牧場を作ることが出来ました。「平地だと開花時期が限られる一方で、山だと順々に花が咲きます。この土地ならではの標高差を利用して、より長い期間で蜂蜜を採取できるようにしています。自家牧場の蜜源の確保、ミツバチの養成、そして蜂蜜の採取から出荷まで一貫して行うことで、安心安全な長野県産の蜂蜜を届けられるようになりました。」

佐久市望月のハニー牧場
(左)トチの花  (右)アカシアの花

ハニー牧場を続けていく中で大変なこともあったそうです。「近年では、周辺に住宅が増えるなど環境も変化しており、巣箱の置き場所も考えるようになりました。2019年の台風19号の際も、アカシアの枝が朽ちて流れ、ゴミを巻き込んで川を氾濫させてしまったことがあり、それ以降アカシアの枝を大幅に剪定するようになり、それに伴い採取できる蜂蜜の量も大きく影響を受けました。また、温暖化に伴い、花の開花時期が重なり、単花蜂蜜が採れにくくなり、蜜源の開花時期の見極めも難しくなってきているという現状もあります。」

それでも荻原養蜂園は日本のミツバチ、そして蜂蜜を守り、届けていくことを続けていきます。
「アインシュタインが『ミツバチがいなければ、世界中の作物はなくなっている』と言ったように、ミツバチは花をはじめ植物を救っています。キャベツの花紛もミツバチが運んでくれます。ミツバチを守ることは、自然を守ることに繋がります。この自然連鎖を守ることに貢献していきたいと考えています。」(現在、世界中で農薬や除草剤の使用によりミツバチの数が激減していることが問題になっています。)

ミツバチと蜜源である花や木を守っていくこと。私たちにとっても大切な問題です。

「日本で販売されている蜂蜜の95%が中国産です。残り5%の国産蜂蜜の生産量ナンバーワンが長野県です。国産の蜂蜜は、外国産と比べると湿度がある風土でできるため、水分量が多く、なめらかで美味しく、その分養蜂にも技術が必要となります。また、四季折々の花から採れる蜂蜜は、それぞれ風味があり、味も洗練されています。そんな国産の蜂蜜をぜひ海外のものと食べ比べてみてほしいです。」四季があり、自然豊かな長野県だからこそおいしい蜂蜜が採れるのですね。

技術を必要とするニホンミツバチの養蜂

最後に、お客様へのメッセージを伺いました。「私たちは、蜂蜜本来の美味しさを安定してお届けできるよう、糖度をはじめとする品質の管理を徹底し、自社の遠心分離機で採蜜し、非加熱で出荷しています。ぜひ、ミツバチが一滴一滴運んでくれた様々な花の蜂蜜を楽しんでいただきたいです。」

荻原養蜂園では、現在500箱の巣箱を育てており、スーパーでは並ばないような、リンゴや蕎麦など長野県ならではの蜜源の蜂蜜もあり、バラエティ豊かな蜂蜜が味わえます。ぜひ、代々守り継がれてきた長野県産の蜂蜜をご賞味ください!!

(左)りんごの花  (右)そばの花

文:松本菜穂

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